原宮司挨拶文集

―過去の社報から―


『新任のご挨拶』

 

 去る二月三日神社本庁創立記念日の定例表彰に際して、長年の功績により、宇治土公宮司様には神社本庁長老の敬称が贈られましたのを契機に、先般の責任役員会において宮司の職を退かれる旨を申され、ご勇退を諒承されました。その後任宮司として役員会のご推薦を賜り、此の度神社本庁より三月二十四日付を以ちまして宮司を拝命いたしました。昭和四十六年尾張の津島神社に奉職の後、昭和四十九年より当神社にお世話に相成り、宇治土公宮司様の下、昭和五十年天皇皇后両陛下の御親拝時の打ち合わせや、昭和五十七年から五十八年にかけての戦後二度目のご造営、又平成七年には終戦五十年記念事業等幾多の事業や祭典にご奉仕申し上げ、その都度いろいろと勉強をさせて戴いておりましたところ、宮司という大任を仰せつかりましたことは、身に余る光栄と共に、その任の重大さを痛感致しております。この上は、御英霊の御加護のもと職員一同心をひとつに神明のご奉仕に邁進申し上げ、祭祀の厳修に勤め、御英霊の慰霊顕彰に励み度く存じておりますので、皆様方のより一層のご支援ご指導を賜りますよう、心からお願い申し上げ、就任のご挨拶と致します。

(平成11年4月1日発行 第82号)


『代々の祭祀』

 

 宮司就任後三か月余りその重責をひしひしと感じております。就任後初めての春季慰霊大祭には、従前通り三県神社庁各支部代表神職様の祭典へのご奉仕をいただき、また三重県遺族会の皆さんや英霊にこたえる会三重県本部の方々と桜友会みなさんの受付のご奉仕、神社世話人の清掃奉仕、特に遺族会壮年部の皆さんには、大テントの設営から撤収、更に受付接遇等のご奉仕をいただき、また職員旧職員の協力を得、幸いに両日とも晴天に恵まれ、県下各地より大勢のご遺族様始め来賓各位の参列のもと、盛大且つ厳粛に斎行できましたこと、心より感謝申し上げ厚く御礼申し上げます。私はと言えば毎日が緊張の連続で慰霊大祭当日にはそれがピークに達しておりましたが、皆様方の支えでもってご奉仕に邁進でき恙なく諸祭儀も終了致しました。今後も更なるご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

 さて今月七月は万灯みたま祭が執り行われます。境内には皆様方よりご奉納賜りました提灯行灯を掲げ、御英霊の御霊をお慰め申し上げます夏の慰霊祭です。当神社が明治二年表忠社(三重県護国神社の最初の社名 その後招魂社 官祭招魂社 三重県護国神社 三重神社 三重県護国神社と改称されている)としてご創建されて以来百三十年の節目の年にあたります。この節目の年に是非ともご家族おそろいでのご参列ご参拝をお待ち申し上げております。

 現在では核家族化が進んでおり、御先祖様のお祭りや供養が疎かになってきているような気が致します。遠い過去の人のことまで関わりを持とうとしない人々が増えてきているのだろうか。現在生きている否生かされている我々には、遠い遠い御先祖があっての自分であり、代々伝えていくものであって子孫がまた守り伝えていく。子孫を残せなかった御英霊もいる。でも血の繋がりのある人はいる。世代が変わろうともお祭りや供養は、何代も何代も続けなければならない。八代目の宮司として祭祀に勤めて参りたく存じます。

(平成11年7月1日発行 第83号)


『壮年部の活躍』

 

 今夏七月に斎行されました万灯みたま祭には、大勢のご遺族様を始め協賛会奉賛会員の方々のご参拝ご参列を賜り盛大に執り行われましたこと、御祭神ご嘉納と拝し有り難く厚く御礼申し上げます。

 特に中日の式年みたま祭にご参列を賜りましたご遺族様には、参列席が足りずにテントより溢れましたこと、大変ご迷惑をおかけ致しまして誠に申し訳なく存じております。来年は更に盛大にご奉仕申し上げたく存じておりますので、ご参拝を賜りますようお願い申し上げます。

 さて本年は、天皇陛下ご即位十年の佳節を迎え、大嘗祭が行われました十一月十二日には政府主催の奉祝行事が行われますが、県遺族会壮年部の皆さんには、御大典を記念して始められました菊花奉納展も年々盛大となり十回目を迎えます。毎年十一月三日より十五日まで開催され、期間中命日祭永代神楽祭にご参拝のご遺族様や七五三参りのご家族連れの目を楽しませてくれております。今年も壮年部の皆さん方の丹精込めて育てられた菊のご奉納をいただいて同期日で行う予定をしております。毎年毎年真心を込めて、また趣向を凝らして立派な菊をご奉納いただいておりますので、皆さん方にも是非御覧いただければ幸いに存じ上げます。

 また、壮年部の皆さん方には、この他にもいろいろとお世話になっております。春秋の慰霊大祭の参列席の大テントの設営から撤収に至る作業と受付接遇と、更には単位会による境内の清掃と境内林の剪定等、神社での活躍は親である御英霊の見そなわします限りでございます。この紙面をかりて壮年部の活躍を紹介し御礼申し上げます。

(平成11年10月1日発行 第84号)


『所感』

 

 終戦より五十五年の節目の本年二月、サイパン島にある中部太平洋戦没者慰霊碑の大前において、三重県神社庁主催による「南洋戦没者慰霊祭」に参列させていただいて参りました。片岡昭雄三重県神社庁長様の斎主のもと、祭員に女子神職二名が奉仕し、修祓の後招魂 献饌 国家君が代吹奏の中献花 四十七名の参列者全員が郷里より持参したお供物を献じ、斎主慰霊祭詞奏上ののちみたま慰めの舞を奉納 斎主玉串拝礼に続いて参加各郡市の代表が玉串を奉りて拝礼 撤饌 送魂と厳粛に斎行されましたことをご報告申し上げます。

 それにつけましても慰霊祭準備のため、先発隊として早朝より出かけ祭場の補設にかかろうとしました処慰霊碑の前には、数日前に慰霊に来られたと思われる残骸がありました。花輪は枯れてしまい、日本から持参したお酒やジュースお水のペットボトル、雨が降ったのかブヨブヨの煙草、口の開いたお菓子袋等が散乱しておりましたのには驚きました。慰霊の行事が終わってもお供物はそのままにしておきたいと思うのが心情だと思うのが自然の姿と思います。しかし腐ってしまったりカビがはえていたりしてはお供物にはならないし、却って御英霊に対し失礼になってしまいましょう。

 十数年前より県遺族会や壮年部の皆さん方とご一緒に、海外での慰霊祭を幾度となくご奉仕申し上げて参りましたが、その折のお供物はおさがりとしてその場で頂いたり、お手伝いをして下さった現地の方々にすべてを渡して、慰霊碑の大前を綺麗に片付けてきておりますことを思い出して愕然といたしました。

 神社にお参りする時、鳥居をくぐり境内が掃き清められていれば、身も心も清々しくお参りできると同様にして頂ければと思いました。当社では毎朝拝後約一時間程かけて全職員で境内の清掃を行って、ご参拝の皆様をお待ちしておりますが、落葉を掃き集めるのがやっとのことです。そこで、いつも遺族会婦人部の方々、壮年部の皆さんのご奉仕を頂いており改めて感謝申し上げます。

 春の慰霊大祭も間近に迫っております。清々しくご参列ご参拝頂けますよう、境内も掃き清め皆様方お揃いでのご参拝を心よりお待ちしております。

(平成12年4月1日発行 第85号)


『ご挨拶』

 

 今年の夏はたいへん異常な天候でありました。雨が多く日照りが少なく冷夏となりました。殊に台風十号では県南部で甚大な被害がありました。お見舞い申し上げます。

 神社にありましては、八月初め境内で赤とんぼが飛んでいるかと思えば、数千匹もいるかと思われる程の蜜蜂の大群が奉納酒樽の回りを乱舞したりしておりました。また樹木の方も八月中旬ころから榎には黄色の葉が増え、漆の木には少しですが紅葉が始まっておりました。私たちの生命を養うものの中で最も大切なお米の作柄は、三重県は例年に比べ作柄概況不良という報道がありました。

 先祖代々米を中心として展開してきた私たちには、やはり夏は暑く冬は寒さがあって四季折々の変化がある方が、自然の恵みを得られるのではないでしょうか。先人たちが残してくれた伝統文化や自然の恵みに感謝する心、またそして国の為に尊い命を捧げられた御英霊に感謝の誠を捧げ、今の平和に暮らせる幸せを強く思わなければなりません。

 平和に暮らせる環境のもとで自由気ままに生活できることによって、今平和の尊さありがたさというものを忘れさせてはいないだろうか。平和のありがたさを忘れさせない為にも、世代を越えて伝えていかなければならないことが数多くあります。

 暑いと言えば冷房を効かし、寒いと言えば暖房と快適な生活を送っておりますが、六十年前南方の戦地では数時間で脱水症状を起こすと言われる程の酷暑に耐え、また北方では骨刺す極寒と戦い続け、戦陣に倒れ病に侵され食べる物も無く、亡くなり未だ祖国日本に帰ってこないご遺骨が、まだまだ数多く遺されていることを壮年部の方から伺うにつけ、六十年もの間戦地でねむられているご遺骨を一時も早く祖国に帰ってもらわねばと存じます。

 十月二十一日二十二は恒例の秋の慰霊大祭が斎行されます。ご家族お揃いで、またご近所のご遺族様とお誘い合わせご一緒にご参拝ご参列を賜り、御霊をお慰め賜りますようよろしくお願い申し上げます。

(平成15年10月1日発行 第96号)


『ご挨拶』

 

 暖冬とはいえ厳しい寒さも峠を越えて、二月中旬には境内の老木の梅にも花が咲き、春のきざしが日一日と感じられるようになりました。今年も春の慰霊大祭を迎えようと致しております。ご遺族皆様方にはご健勝にてお過ごしのことと拝察致しております。

 さて我が国の食糧事情を考えますと、昨年暮れにアメリカで初めてBSE牛が発見されますと、米国産の牛肉が輸入禁止となり、また今年一月に山口県で鳥インフルエンザが確認されました。去年から韓国で大流行していたもので渡り鳥による感染とも言われましたが、ベトナムでは死者も出ました。そんな影響により中国やタイなどからの鶏肉の輸入も禁止となりました。日本人の食生活は外国からの輸入に頼っているのが実情です。是に生鮮野菜や魚介類にまで及べばお手上げ状態になりかねません。我が国での生産力の向上を図ることも考えなければならないと思います。

 二月十七日恒例の祈年祭(としごいのまつり)をご奉仕申し上げました。今年の五穀豊饒と商業工業もろもろの産業の発展を、護國の神々に祈念申し上げました。昨年当三重県は冷夏の影響により米の作柄が不作となりました。本年は御英霊のご加護のもと作柄が良くなることを念願し、また商業工業産業の発展により現在の経済不況が改善されますことをお祈り申し上げ、活力ある日本社会を取り戻せるよう、感謝と祈りを捧げ春の慰霊大祭をご奉仕申し上げたく存じます。

 平成二年県遺族会壮年部が結成三十年を記念して植樹されました東西参道脇の紅白の花水木は三メートル以上の高さに成長し今年も数多くの花芽をつけております。丁度大祭のころには見事な花を咲かせていると思います。是非ともご家族お揃いでお参り下さいますようお待ち致しております。

(平成16年4月1日発行 第97号)


 今年の夏は暑い日が続きました。また局地的に大雨もありましたが皆様方にはいかがお過ごしでございましたでしょうか。

 万灯みたま祭式年祭には多くのご遺族様のご参拝を頂きましたが、受付にて時間がかかり暑い中大変ご迷惑をおかけ致しましたこと深くお詫び申し上げます。

 八月二十五日より二十九日にかけて三重県神社庁主催による、インドネシア国立カリバタ英雄墓地にて斎行されました慰霊祭に参列して参りました。片岡昭雄県神社庁長斎主のもと六名の女子神職の奉仕により、厳粛盛大裡に斎行された慰霊祭は、インドネシアを始め南太平洋・インド洋またボルネオ・スマトラ・ニューギニア・ソロモン群島等において尊い一命を捧げられた御英霊を始めインドネシア独立の礎となられた方々の慰霊が行われた。修祓 招魂の後献饌の儀につづき参列者全員が持ち寄った郷土三重からのお供え物を供え献花の後、斎主祝詞奏上、みたま慰めの舞が奉納され、斎主が玉串を奉り、参列者がお花を手向け全員で拝礼し、撤饌の後送魂の儀に続いて故郷の歌を合唱し、神社庁長から挨拶があり慰霊祭を終えた。炎天下の中一時間余りに及ぶ祭典でありました。戦禍に斃れ病にかかり又傷付き補給も無く食うに物無く飢えに斃れ御国の為尊い命を捧げられた御英霊を偲び感謝の誠を捧げ世界の平和を願い半旗の翻る国立英雄墓地を後にしました。

 来年は終戦より六十年の節目の年を迎えます。靖國神社ではこの九月二日参集殿の竣工祭も執り行われ多くの参拝者で賑わっております。毎年一月には県遺族会主催の靖國神社初詣が行われております。靖國の参集殿も新しくなりました。六十年という節目の年にもなります。皆様方と共にお参り致したく存じます。

(平成16年10月1日発行 第99号)


『終戦六十年

  将来にむけて』

 

 昨年は、当三重県におきましても酷暑に続き、台風の襲来、集中豪雨地震と、大自然の厳しい試練を受け多くの災害がありました。被災されました方々に心よりお見舞いを申し上げ、一日も早いご復興をお祈り申し上げます。

 終戦より六十年の節目の年を迎えました。この六十年の間に我々の遠い祖先より伝えられてきた多くの事が、昔のことは関係がないだとか、昔の話は古くさいだとか言われ、日本のすばらしい歴史・文化・伝統が否定され、日本人としての誇りも忘れられようとしております。

 わが国には、祖先を崇めその徳を敬い、いつでもどこでも常にご先祖様に見守られているという思いで生活を送っております。その思いから祖先の祭祀を怠ることなく心を込めて行っております。何十年何百年経とうとも国のため命を捧げられた御英霊への慰霊祭祀は、国の伝統文化に基づいて斎行されそのご遺徳を尊び感謝し御英霊のこころを心として見習って行くことが大切であり、子々孫々継承して行かなければなりません。

 祖先から今日まで受け継がれてきた大切な事がらに神宮式年遷宮があります。御遷宮は持統天皇の御代に第一回が執り行われました。以来千三百年間連綿と受け継がれて参りました。次の第六十二回御遷宮は平成二十五年に執り行われますが、本年よりそのご準備が始まります。その中で最も鄭重なお取扱を要します御神木と呼ばれ、特に神聖視されております御樋代木が、本年六月初旬長野県、岐阜県の木曽山中で伐採され愛知県を通過し、伊勢路に入り当神社に御一泊される予定となっております。当神社への御宿泊は昭和四十年、昭和六十年に続くもので神社大前において県神社庁を中心として奉迎送祭が盛大に斎行されます。この千三百年もの間受け継がれて参りました伝統こそが日本人の英知と心だと存じます。

 日露戦争終結百年、大東亜戦終戦より六十年の節目の年にあたり、我々が今手にしている繁栄と平和とはを考え、日本人としての誇りをもってよりよき国を築き上げ、国難に殉じられた御英霊に改めて追慕の念を深くし、行く末永く御霊をお慰め申し上げたく、皆様方のお参りをお待ち致しております。

(平成17年4月1日発行 第100号)